──「俺は、できない側の人間だった」

パソコンは苦手。
キーボードを打つと、必ず「A」と「S」を打ち間違える。
エクセルを開いても、何をどう触ればいいのか分からずに固まってしまう。

学生時代の国語は、ずっと赤点ギリギリ。
読書感想文は「面白かったです」と三行で終わらせて、先生に怒られた。
クラスでも目立つことはなく、いつも「空気を読む側」。
自分の意見なんて持てなかったし、言えなかった。

そんな自分が、介護の現場に入った理由はただ一つ。
「人手不足だから、誰でも受かる」
──そう聞いたから。

やりたい仕事なんて、特になかった。
正社員になれればそれでいい。
手取り14万円でも、「仕方ないか」と思い込もうとしていた。

でも、心の奥底では分かっていたんです。
──「自分は何をやっても続かない」
それを隠すように笑って働きながら、
いつしか人生そのものを、半分あきらめていました。

“副業”なんて自分には無理だと思った

夜勤明けの休憩室。
カップラーメンの湯気が漂う中、同僚がスマホを見せながら言ったんです。

「最近ライターやっててさ、月3万くらい入るんだ」

その瞬間、心の奥で「いいな」と思った。
夜勤の手当を増やしても、3万なんてそう簡単に増えないから。
でも、すぐにもうひとつの声が頭の中で響きました。

──「文章書けないし、俺には無理だ」

試しにクラウドソーシングのサイトを覗いてみた。
「初心者歓迎」と書いてある案件もたくさんあった。
だけど、募集ページをスクロールするだけで、胸がザワザワした。

  • プロフィール欄に書くことが何もない
  • 自己PRなんて思いつかない
  • 「趣味:ゲーム」と書いて、本気で応募していいのか?

案件の条件を見ると、1文字0.5円。
1,000文字書いても500円。
「これじゃ時給にしたら最低賃金以下じゃん」と鼻で笑った。
…でも、本当はただ怖かっただけ。

「応募する」ボタンにカーソルを合わせては閉じる。
それを何度も繰り返しているうちに、2週間が過ぎていた。

夜勤と日勤のループ。
通帳の残高は減る一方。
パソコンを開くだけで、ため息が出る。

──「やっぱり自分には無理だ」
そう言い聞かせることで、挑戦しない自分を正当化していました。

それでも動いたのは“怖さ”だった

きっかけは、本当に何気ない瞬間でした。
夜勤の巡回で、廊下の電灯の下。
ベッドに横たわる利用者さんに声をかけたとき、ふと、こう言われたんです。

「若いんだから、他にやれることあるでしょ」

優しい口調だった。
冗談半分の言葉かもしれない。
でも、自分の心には鋭く突き刺さりました。

──「このままじゃ、何も変わらない」

そう思ったのは、そのときが初めてでした。

パソコンを開く。
画面の明かりがまぶしくて、心臓がドクドク鳴る。
カーソルを「応募する」のボタンに合わせながら、手が震えていた。

結局、その夜。勇気を振り絞って送ったんです。
プロフィールもガタガタ、文章も下手。
「これで通るわけない」と分かっていたけど、送った。

結果は──速攻で落選。

スマホに届いた「申し訳ありません」という通知を見て、
頭が真っ白になりました。
布団に潜っても眠れなくて、翌日の勤務中もぼんやり。
「やっぱり俺なんかダメなんだ」
その言葉が、頭の中でぐるぐる回っていました。

でも、不思議とゼロではなかったんです。
「それでも、一歩は踏み出せた」
小さな火種のような感覚が、心の奥に残っていました。

ポートフォリオ作成の苦労

クラウドソーシングで応募しようとすると、必ず出てくる言葉がありました。
──「ポートフォリオを添付してください」

正直、その瞬間に頭が真っ白になった。
「ポートフォリオ?履歴書のこと?…え、何を書けばいいの?」

検索してみると、「自分で記事を書いて実績として見せる」と書かれている。
つまり“架空の記事”でもいいから、実際の文章を形にしろということだった。

でも、いざパソコンを開いてWordを立ち上げても──何も書けない。
「介護のやりがい」と題を打ってみたけれど、頭に浮かぶのは自分の愚痴ばかり。
気づけば数行で手が止まり、画面の白さが余計に惨めさを増幅させた。

それでも「やるしかない」と無理やり続ける。
ネットで見た“記事の型”を真似しようと、見出しを付けてみる。
だけど、

  • 「見出しの付け方が分からない」
  • 「一文が長すぎて何度も書き直す」
  • 「段落を変えても読みづらい」

気づけば深夜2時。
頭はぼんやりして、文章は誤字だらけ。
画面を見ながら、自分の才能のなさに何度も心が折れそうになった。

それでも、なんとか仕上げた。
──と言っても、胸を張って見せられるものじゃない。
素人感丸出しで、「これで依頼が来るわけない」と自分でも思った。

でも、ゼロのままじゃ永遠にスタートできない。
「ないよりはマシ」
そう自分に言い聞かせて、その拙い記事を“ポートフォリオ”と名付けてアップした。

今振り返れば、そのとき書いた記事なんてひどいものだった。
でも、あの一歩がなければ次の挑戦すらなかった。
恥ずかしい、情けない、でも“最初の土台”はそこから始まったんです。

案件獲得の苦労

やっとポートフォリオを作って、「これで応募できる」と思った。
震える手で「初心者歓迎!」の案件に応募。

結果──速攻で落選。

正直、その通知を見た瞬間、胸がズンと重くなった。
「やっぱり俺には無理なんだ」
そう思って、応募画面を閉じかけた。

でも、気を取り直してもう一件。さらにもう一件。
──そして待つ。
返事は来ない。
何日経っても来ない。
応募数が増えるほど、不採用通知がGmailに並んでいく。
画面に「お見送り」と表示されるたび、心臓を握り潰されるように痛かった。

応募文もまた難しかった。
「意欲があります!頑張ります!」としか書けない。
他の応募者のプロフィールを見ると、
「SEO経験があります」「300記事以上執筆しています」
──その差に愕然とした。

「こんなの勝てるわけない」
「一生、俺の番なんて来ない」

それでも必死に応募を続けた。
だって現場の給料明細を見たら、月16万円。
家賃を払ったら、手元にはほとんど残らない。
「この生活をずっと続けるのか?」と考えると、怖くて仕方がなかった。

あるとき、やっと1件だけ返信が来た。
「テストライティングをお願いします」

喜んだのも束の間。
条件を見ると──1,000文字で報酬はたったの300円。
しかも「合格者のみ採用」とある。
つまり、落ちれば無報酬。

それでも食らいついた。
夜勤明けのぼんやりした頭で、必死に文字を打ち続ける。
「これが通らなければ、もう後がない」
そんな思いで、何度も何度も文章を見直した。

結果は、不採用。

その夜、コンビニの前で泣きそうになった。
「俺、何やってるんだろう」
「もう無理なんじゃないか」

でも、不思議と完全に諦めることはできなかった。
心のどこかで、「あと一件…あと一件だけ挑戦してみよう」と思えた。
それが、泥臭い挑戦の始まりだった。

泥臭い試行錯誤

テストライティングで落ちたあとも、応募は続けた。
「どうせ落ちる」と思いながらも、やめるわけにはいかなかった。
夜勤明けにコンビニでバイトする未来だけは、どうしても避けたかったから。

最初の1ヶ月で書いた記事は15本以上。
もちろん、すべて報酬が出たわけじゃない。
中には「不採用」と突き返された原稿もあった。
書いても書いても、世の中に残らない。
自分の存在すら否定されているようで、何度も心が折れかけた。

やっと採用された記事でも、修正の嵐だった。
クライアントから返ってきたコメントには、こう書かれていた。
──「日本語がおかしいです」

その文字を見た瞬間、顔から火が出るくらい恥ずかしかった。
中学生の作文レベルと言われたような気がして、机に突っ伏した。

それでも、やめなかった。
なぜなら、現場での生活の方がもっと地獄だったから。

夜勤明け → 仮眠 → 数時間だけパソコンに向かう
眠くて頭は回らない。誤字脱字は山のように出る。
それでも「逃げ道を作りたい」一心で必死にキーを叩いた。

応募して断られるたびに、胸がズキンと痛んだ。
深夜、布団の中で「もうやめようか」と何度も思った。
でも、そのたびに頭に浮かんだのは、給料明細の数字。

──手取り16万円。(少しは増えたけど、、、)

「このままじゃ何も変わらない」
それだけは、痛いほど分かっていた。

成功のイメージなんてなかった。
「すぐ稼げる」なんて甘い夢も信じていなかった。
ただ、とにかく「もう一歩だけ」と自分を騙しながら進んでいた。

泣きそうになりながら、泥臭く積み重ねた日々。
あの頃の自分にもし声をかけられるなら、こう言いたい。
「まだ下手くそでもいい。やめない限り、必ず前に進んでる」

初めての“報酬”が灯した光

泥臭く応募を続けて、何度も落ちて。
「もうやめよう」と何度思ったか分からない。

それでも、ある日1通のメールが届いた。
──「採用させていただきます」

画面を二度見した。
本当に自分の名前が書いてある。
嘘じゃないのか、と何度も更新ボタンを押した。

案件内容は、介護の体験談記事。
報酬は、1,000文字で500円。
数字だけ見れば、決して大きな額じゃなかった。
でも、その瞬間の自分には、何よりも重みのある“500円”だった。

夜勤明け、眠い目をこすりながら必死に書いた。
文章は拙い。誤字も多い。
でも、これまでとは違った。
「誰かが自分の記事を読んでくれる」
そう思っただけで、胸の奥が熱くなった。

納品ボタンを押したとき、心臓がバクバクしていた。
そして数日後──「検収完了」の文字と一緒に、確かに500円が振り込まれた。

たった500円。
でも、その金額を見たとき、自分の中で何かが大きく変わった。
「本当に、俺でもできるのかもしれない」

介護の現場で、どれだけ頑張っても給料は変わらなかった。
でも、ここではたった一文字でも、お金に変わる。
努力が数字に変わる。
それが、たまらなく嬉しかった。

あの日の500円は、金額以上の意味を持っていた。
──それは「もう一歩進め」というサインだった。

少しずつ広がっていく仕事

最初の500円の案件を終えても、すぐに次の依頼が来たわけじゃない。
その後も、応募しては落ち、テストライティングで削られる日々は続いた。
でも、不思議と「完全にやめる」という気持ちは消えていた。

なぜなら──「一度は通った」から。

あの日の500円が、「ゼロじゃない」ことを証明してくれた。
その小さな成功体験が、背中を押してくれた。

少しずつ、できることを増やしていった。
見出しをつけるときは、「読者が次に知りたいことは何か」を意識してみたり。
文章を短く区切って、読みやすくしてみたり。
ネットで見つけた“文章の型”を、ひたすら真似して書いてみたり。

すると、ある日クライアントから初めてこんな言葉をもらった。
──「読みやすかったです、またお願いします」

たった一言。でも、胸が震えた。
「またお願いします」なんて、現場ではほとんど言われなかったから。
自分の文章が役に立った。その事実が嬉しかった。

気づけば、1本500円だった案件が、次第に1,000円、2,000円と広がっていった。
最初は「誤字だらけ」と言われた自分が、少しずつ「任せてもらえる存在」になっていた。

もちろん、順風満帆じゃない。
修正依頼は今でも飛んでくるし、深夜までパソコンにかじりつくことも多い。
でも、不思議と苦しくはなかった。
介護の現場で「続けるしかない」と思いながら働いていた頃より、ずっと前向きだった。

そして、月に1万円、3万円と積み上がっていく報酬を見て、ふと気づいた。
──「俺、ライターとして生きていけるかもしれない」

あの日、勇気を出して応募ボタンを押した“震える手”は、確かに未来につながっていたんだ。

介護士の給料を追い越すまで

最初の500円を手にしてから、少しずつ仕事が広がっていった。
案件が常にあるわけじゃない。
応募しては落ち、修正を食らい、赤字覚悟で記事を書く日もあった。

それでも──数字は確かに積み上がっていった。

月に3万円。
「おお、手取りの2割くらい増えた」
夜勤明けのクタクタな体でパソコンに向かいながらも、その画面の数字だけは心を支えてくれた。

次の月は5万円。
「ここまで来たら、10万も夢じゃないのか?」
心の奥で、そんな淡い期待が芽生えた。

もちろん、楽じゃなかった。
夜勤が終わって午前9時に帰宅。
シャワーを浴びて少し寝て、昼過ぎに起きたらすぐパソコン。
目は充血し、頭はぼんやり。
それでも「今やらなきゃ」と自分を叱り飛ばした。

やがて月8万円。
銀行の通帳を見て、何度も数字を確認した。
「俺、本当に稼げてるんだよな?」
あの頃の自分にとっては、信じられない光景だった。

そして──初めて月10万円を超えた。
画面に並ぶ「報酬」の欄を見て、言葉が出なかった。
介護士の薄給を「超えられるかもしれない」という希望が、現実味を帯びてきた瞬間だった。

まだ生活は苦しいまま。
でも確かに“別の道”が目の前に広がっている。
そう思ったとき、胸の奥に小さな炎がともった。

給料を超えた瞬間

月10万円を超えたあとも、走り続けた。
昼休憩のわずかな30分にスマホで下書きをする。
夜勤の合間、利用者さんが眠っている間にリサーチを進める。
休みの日は、パソコンの前から動かない。

「これを続ければ、もしかして……」

そう思いながら、必死に書き続けた。

そしてある月──ライターの報酬が介護士の給料を超えた。
銀行口座に並んだ数字を見た瞬間、手が震えた。

──「俺でも、本当にここまで来れたんだ」

涙が出た。
学生時代は赤点ギリギリ。
何をやっても続かないと思っていた。
そんな自分が、パソコン一つで介護士の月収を超えるなんて、信じられなかった。

でも、喜びは長く続かなかった。

身体は限界だった。
夜勤明けでパソコンに向かえば、頭が回らない。
誤字脱字だらけで、納期ギリギリに滑り込むことも多かった。

睡眠不足でフラフラしながら現場に立ち、
「大丈夫? 顔色悪いよ」と同僚に心配されることもあった。

収入は伸びたのに、心も体もボロボロ。
「このまま両立していたら、壊れる」
その現実が突きつけられた。

安心の給料を捨てるか。
それとも、このまま体をすり減らして続けるか。

目の前に“分かれ道”が現れていた。

“マニュアル化”で掴んだ効率

収入は伸びた。
でも、時間は常に足りなかった。
夜勤明けに3時間パソコンに向かい、休日はほとんど引きこもり。
体はボロボロ、頭は回らない。
「これじゃ長くはもたない」
そう思ったとき、初めて“効率”という言葉を真剣に考えた。

最初は何も考えずに記事を書いていた。
リサーチは思いつくまま。
文章は書いては消し、また書いては止まる。
1記事に6〜7時間もかかることもざらだった。

──「これじゃ生活が壊れる」

ある日、過去の修正コメントをノートに書き出してみた。
「導入が弱いです」
「段落が長いので区切ってください」
「結論が分かりにくい」

並べてみると、共通点が浮かび上がった。
そこから少しずつ、自分なりの“型”を作っていった。

俺の工夫①:導入文は「共感+問題提起」で始める

例:
「介護の夜勤明けでぐったり──そんな経験はありませんか?」
こうすると、読者が「自分のことだ」と思って読み進めてくれる。

俺の工夫②:リサーチの順番を固定する

  • まずは検索で上位5サイトをざっと読む
  • 共通している見出しをピックアップ
  • それを自分の記事の“見出しの骨格”にする

最初からゼロで悩む時間が減り、記事の設計が早くなった。

俺の工夫③:文章は「60文字で改行」ルール

ダラダラ長い文は、自分でも読み返して辛かった。
そこで「1文60文字以内・必ず改行」と決めた。
すると自然とリズムが出て、修正依頼も減った。

俺の工夫④:作業手順を“ルーティン化”

  • 1記事=【構成→見出し→本文→まとめ】の順で必ず進める
  • 書く前に必ず「構成だけ」提出する
  • 修正が来ても、骨組みから直せるから時間を無駄にしない

このルーティンにしたことで、1記事6時間かかっていたものが、3〜4時間で終わるようになった。

──ただがむしゃらに書いていた自分が、
少しずつ「仕組みを持ったライター」に変わっていく感覚があった。

効率化は、収入を増やすためだけじゃない。
「続けられる仕組み」を作るための武器でもあった。

そして俺は確信した。
──「やっぱり、俺でもできる」

無料ツールを最大限活用

効率化の仕組みを作ったことで、記事を書く時間は半分になった。
それでもまだ、「もっと楽にできる方法はないか」と模索していました。

そのとき気づいたのが── 無料ツールの存在 です。
最初は「ツールなんてプロが使うもの」と思っていたけれど、実際に試してみると、自分の作業を驚くほど助けてくれました。

お金をかけずに取り入れられて、しかも初心者でもすぐに使える。
ライターとしての成長を一気に加速させてくれたのは、まさにこの「無料ツールたち」だったのです。

以下にまとめていますので、ご覧ください。

揺れ続けた3ヶ月

ライターの収入が、介護士の給料を超えた。
振り込まれた額を見て、声を出して喜んだ。
「よし、やっとここまで来た」
でも、その興奮はほんの一瞬だった。

すぐに不安が押し寄せた。
「これがずっと続くとは限らない」
「来月、案件が途切れたらどうする?」

頭の中は、「やめる勇気」と「しがみつく安定」の間で揺れ続けていた。

ある日、介護の同期の友人の悩みを聞いた。

「実は俺、副業で始めた物販、赤字でやばいんだ」

 聞けば、数十万円の在庫を抱えて、クレジットの支払いにも追われているという。
1回か2回はは誰でも上手くできるのかもな、難しいのは上手くいく状態を継続させることだよな

 「副業ってさ、結局一握りの人しかうまくいかないんじゃない?

 その言葉が、胸に突き刺さった。

「もし俺も同じように失敗したら?」
怖さが一気に膨らんだ。

現場でも、決断をにぶらせる出来事があった。
上司に呼ばれて言われたのは、
「来年から資格取得を目指してみないか?補助も出るし」
という話。
「ここで頑張れば、給料も少しは上がるかもしれない」
そう思うと、介護を完全に捨てることが余計に怖くなった。

気づけば、3ヶ月。
ライターの仕事は継続しているのに、一歩を踏み出す勇気が出ない。

夜勤明けに机に突っ伏して眠り、
休みの日はひたすら記事を書き、
でも心の奥ではずっと迷っていた。

「やめたい。でも失敗が怖い」
「続けたい。でもこのままでは体が持たない」

友人の失敗談と、現場の“安定”が、俺を縛っていた。
まるで出口の見えないトンネルを歩き続けているような、そんな3ヶ月だった。

衝撃の出来事が背中を押した

ある夜勤の日。
深夜3時、ナースコールが鳴り響いた。
駆けつけると、入居者の方が転倒して頭を打っていた。
救急車を呼び、家族に連絡し、処置が終わった頃には朝が来ていた。

そのとき、責任者に言われた一言が忘れられない。
「人手不足だから仕方ないよな」

──仕方ない。
現場では、何度も耳にしてきた言葉だ。
でも、その夜ばかりは違った。
命がかかった瞬間に「仕方ない」で片付けることに、強烈な違和感を覚えた。

翌週。
同僚が体調を崩し、現場から突然いなくなった。
「過労で入院したらしい」
そう聞いた瞬間、冷たいものが背中を走った。
「あれは他人事じゃない。明日は自分かもしれない」

それでも迷いは残っていた。
「安定を捨てるのは怖い」
「もし失敗したら、どう生きていけばいい?」

その夜、帰宅して机に向かい、黙って自分の銀行口座を開いた。
ライターの収入は、もう介護士の給料を超えていた。
現場で倒れるまで働く未来と、
不安定でも挑戦できる未来。

どちらを選ぶべきか──答えは出ていた。

不安と自由のはざまで

退職届を出して受領された。そして最後の勤務を終えた日。
ロッカーの鍵を返すとき、指先が少し震えていた。
「本当に辞めてしまったんだ」
実感が湧いた瞬間、胸がすうっと軽くなると同時に、足元がぐらりと揺れるような不安に襲われた。

翌朝。
アラームをかけずに眠り、昼近くに起きた。
外から差し込む光を見て、「あ、夜勤がない生活ってこういうことか」と笑った。
久しぶりに朝ごはんを自分で作り、コーヒーを飲む。
その何気ない行為が、信じられないくらい贅沢に感じた。

「自由って、こんなに静かなんだ」

だが、同時に頭の隅では計算を始めていた。
「今の案件がもし切られたら?」
「来月、収入が半分になったら?」
オンラインバンキングの残高を何度も確認する。
通帳の数字は確かに増えている。
けれど、それが「保証された給料」ではないことが、恐怖としてのしかかった。

ある日、平日の昼間に図書館でパソコンを開いた。
周りは学生や年配の人ばかりで、「俺は会社にも現場にも属していない」と気づいた瞬間、心臓がドクンと鳴った。
解放感と孤独感が同時に押し寄せてくる。

「もう戻れない」
その事実にゾッとしつつも、画面に映る記事の下書きに手を動かした。

現場にいた頃のような「仕方ない」という言葉は、もう誰も言わない。
代わりにすべての責任が、自分一人にのしかかる。

怖い。
でも、その怖さが、不思議と心を突き動かしていた。

最初の大きな壁

退職してフリーになって2ヶ月目のこと。
昼過ぎ、コンビニで買ったパンをかじりながらメールを開いた。

──「来月から契約を終了させていただきます」

一瞬、画面の文字がにじんで見えた。
何度読み返しても、そこには「終了」の二文字。
パソコンの前で固まったまま、パンの味はもうわからなかった。

その案件は、毎月5万円ほどの収入になっていた。
介護士時代の夜勤手当と同じくらい。
それが、来月からゼロになる。
頭の中で数字がぐるぐる回り始めた。

「家賃、食費、光熱費…」
スマホの電卓で必死に計算する。
残高はあと20万円ちょっと。
「3ヶ月もたない」
喉がカラカラになり、息が詰まりそうだった。

夜。
いつものようにパソコンを開くが、手が動かない。
ブラウザでクラウドソーシングを眺めても、案件の条件がやけに厳しく見える。

「SEO経験者歓迎」
「医療資格を持っている方優遇」
「継続案件希望」

──どれも自分には当てはまらない。

応募ボタンを押す指が震えて、結局そのまま閉じてしまう。

その頃の生活は、かなり惨めだった。
昼は安売りスーパーで30円引きの惣菜を漁り、夜は袋麺。

「また現場に戻るべきか…」
頭の中で何度もその言葉がよぎった。

ある晩、布団の中でスマホを握りしめ、求人サイトを開いた。
「介護スタッフ急募・未経験歓迎」
その文字を見た瞬間、涙が出そうになった。
「結局、何も変わらないのか」
悔しくて、スマホを布団に投げつけた。

けれど、不思議とその夜は眠れなかった。
ずっと頭の中でリフレインしていたのは、現場で聞いたあの言葉だった。

「人手不足だから、仕方ないよな」

あの“仕方ない”に戻るくらいなら、たとえ惨めでも今の道で踏ん張る。
そう思うと、涙で枕が濡れていた。

小さな突破口

契約終了のショックから数日。
パソコンの前に座っても、指は止まったままだった。
「何を書いても価値がないんじゃないか」
そんな声が、頭の中でぐるぐる回っていた。

ある夜、眠れずにYouTubeをぼんやり眺めていたとき、ふと目に入ったのは「ポートフォリオの作り方」という動画だった。
「初心者でも、書いた記事をまとめて見せればいい」
そんな当たり前の言葉に、なぜか胸を打たれた。

「今までやった仕事を“ただ並べるだけ”でも意味があるのかもしれない」

すぐにノートを開き、過去に納品した記事を洗い出した。
エクセルにタイトル・ジャンル・文字数・修正回数を全部メモしていく。
眠気はなかった。
むしろ不思議と、久しぶりにワクワクしていた。

次の日。
フリーのブログサービスを使って、ポートフォリオサイトを作った。
無料のテンプレートに文字だけ。
見た目は素っ気なかったけれど、今の自分の「名刺」になった。

そのリンクをクラウドソーシングのプロフィールに貼った瞬間、心の中で小さなスイッチが入った。

「俺だって、少しは積み重ねてきたじゃないか」

数日後。
試しに応募した案件で、初めて返事が来た。
「ポートフォリオを拝見しました。テストライティングをお願いします」

たったそれだけの一文。
でも、モニターを見た瞬間、思わず声が漏れた。
「やっと…!」

震える手でキーボードを叩きながら、涙がにじんで画面がぼやけた。

一気に流れが変わった瞬間

誤字脱字で真っ赤に直されていた時期は、もう過去になっていた。
納品すれば、修正はごくわずか。
「スムーズに読めました、次もお願いします」
そんな言葉が返ってくるようになっていた。

──そして、ある案件をきっかけに状況が一変した。

それは「専門メディアの記事」。
いつものように必死でリサーチして書いた。
納品後、編集者から届いた一文を今でも覚えている。

「ここまで調べてくれる人は少ないです」

その瞬間、胸の奥で“何かがカチッとはまった”ような感覚があった。
「俺の書いた記事が、ちゃんと評価された」
それだけのことが、ものすごく大きかった。

すると不思議なもので、流れが変わっていった。

・別の編集者から「紹介してもらいました」と新規依頼が来る
・単価が1.0円、1.5円と少しずつ上がる
・「またお願いしたい」と継続案件が増えていく

雪だるまのように案件が膨らみ、気づけばスケジュールが埋まっていた。

この頃の俺は、介護士時代の自分からは想像できないほどの量を書いていた。
1日1万字を叩き出す日もあった。
しかも、それを「やらされている」のではなく、自分から進んで机に向かっていた。

報酬の振込通知が届くたび、画面を何度も見返した。
「これ、本当に俺の口座に入ってるのか?」
そんなふうに笑ってしまうくらい、現実感がなかった。

成功のイメージなんてまるで持てなかった俺が、気づけば“上昇気流”の真ん中にいた。
「下手でも、動けば変わる」
そのシンプルな事実が、やっと自分の血肉になり始めた瞬間だった。

──できなかった私から、今介護士として働くあなたへ

私は文章が苦手で、国語の成績も悪く、パソコン操作も得意ではありませんでした。
だからこそ「副業なんて自分には無理だ」と思い込んでいたんです。

けれど、振り返ればライティングは特別な才能が必要な仕事ではありませんでした。
大きなお金をかける必要もなく、パソコンとネット環境さえあれば始められる。
そして、介護の現場で得た知識や経験を、そのまま文章として活かせる仕事だったんです。

最初は本当にぎこちなく、落選や修正の連続でした。
でも、続けるうちに少しずつ「型」が見えてきて、記事を書くスピードも上がり、気がつけば安定して収入が生まれるようになりました。
今では、ライティングが“介護士時代に学んだことを外に伝える手段”にもなっています。

今、現場で働きながら「副業を始めたいけど、自分にはできない」と思っている方もいるかもしれません。
でも、ライティングはお金をかけずに、小さく始められる仕事です。
だからこそ、介護士のように忙しい仕事をしている人にとって、副業として一番取り組みやすい選択肢だと思います。

私は「できない側」でした。
それでも、ほんの少し勇気を出して一歩を踏み出したことで、未来は大きく変わりました。

介護士としての日々を大切にしながら、プラスαの選択肢としてライティングに挑戦してみませんか?
今日の一歩が、数ヶ月後には「こんな自分でもできた」と笑えるきっかけになるはずです。

──この記事が、その第一歩を踏み出す背中を、少しでも押せたなら嬉しく思います。